美しい男の肖像画 2024/10/31 Thu 本編に入らなかったミステリーもどき 土曜日。穏やかな日が差すのどかな休日、青年は久しぶりに気持ちの良い寝覚めを迎えていた。 布団の上から窓の外に視線を投げると、連日雨続きで重かった空が、雨なんか降ったことすらないと言わんばかりに晴れ渡っている。初夏らしい日和だった。起き抜けに朝食でも頂こうと、青年はいつもより軽い感じのする体を起こし、顔を洗って台所へ向かった。 青年の生活リズムは芸術家らしく不規則気味である。巽の早起きの習慣とは相性が悪い。2人は朝食のタイミングを無理に合わすことはせず、互いに好きな時間に好きなものを食べるというスタンスを取っていた。だから青年が特別早く起きるというようなことがない限り、朝のダイニングテーブルには茶碗が一つ伏せてあり、新鮮な卵が入った籐の籠が置いてあるはずだった。しかし今日はどうだろう。テーブルの上には卵どころか、籠ごと見当たらないし、茶碗は1つではなく2つ伏せられている。 見れば時計は12時を回っていた。いつもなら巽の方はとっくに朝食を終えているはずの時間帯である。 不思議に思いつつ、卵を取りにつっかけを足にひっかけ軒先に行けば、鮮やかな緑髪の後ろ姿が小屋の前にちょこんとある。加えて子どもたちが3人、ちょこん、ちょこちょこんとしゃがんでいる。 「どうしたんだい」 青年はできるだけ大人の余裕を声に滲ませるよう心掛けた。が、子どもの一人が振り返って、青年の顔を見るなり青い顔になった。そして次の瞬間には前を向いてしまった。思わず表情を曇らせてしまう。恋人の背中に擦り足で近寄り、中腰になってもう一度声を掛ける。 「どうしたんだい?」 巽は一瞬髪を前に揺らしてから、明らかに困ったような表情で振り返って 「卵がどういうわけか、全てゆで卵になってしまったようなんです」 と言った。 『それは一体』 言いかけて飲み込んだ。8つの濡れた猫のような目が揃って青年を見つめているのだ。改めて聞くのは野暮なことに思われた。 巽が卵の入った籐の籠を差し出す。試しに一つ掴んで殻を割ってみると見事にゆで卵だった。思わず巽の顔を見る。巽は苦笑で返した。 「俺が見たときには既にこの有り様で、水瓶の中には卵は4つしか残っておらず、そのすべてがゆで卵になっていました」 青年は子供たちに視線を移した。巽の右にしゃがむ女の子が 「私たちは卵をもらいに来たの。玄関から巽さんを呼んでここに来たらもうこうなってたの」 嘘じゃないわ。と真剣な顔で青年を見つめる。 「ほんとだよ」 と男の子。その隣の小さな子は俯きがちにうなずいた。 青年は 「そうなんだね」 と返し、取り敢えず鶏小屋にお邪魔した。中には干草と数羽の鶏、雛、餌と水入れ。それに卵を受けるための水瓶(野生動物から卵を守るため水中に保存している)。環境は整ってるし特別荒れた感じもしない。穏やかじゃないか、と思ってますます首をひねる。 「何かわかりましたか?」 と巽。 『いや、さっぱり』 しかし、子供たちがいる前でそんな格好悪い発言をして失望されるのは流石に堪える。青年は意味深長にうなずいて 「まずは子供たちに意見を聞いてみよう」 B 「鳥の体温が高すぎて体内でゆで卵になったんだ。鶏の体温は40度以上あるってどこかで読んだし、間違いないよ!」 A子 「羽毛の下で温めすぎたんじゃないかしら?最近寒かったし、みんなが一か所に集まって卵を温めればそういうこともあるんじゃないの?」 C 「ぼくは…誰かが取り替えたんだと思う。わからないけど……」 「なるほど」 子供たちの推理が出揃って4人の視線が青年に集まる。 青年 「宇宙人の実験にうちの鶏が使われたんだろう。ゆで卵を産む鶏なんて、これからは調理いらずだね」 「あなたもですか」 巽がそんなことだろうと思った、とでも言う風にケタケタ肩を震わせ笑う。 「まじめにやってよ!大人なんだから」 「あきれる」 叱られてしまった。 まあまあと巽が子どもたちをなだめる。まぶちのしずくを指でぬぐいながら 「実は俺の方はもう粗方見当がついているんです。ただトリックが分かっただけで、動機の方はさっぱりなんですが」 なんと。 どういうこと、教えて、と子供たちが巽に縋り付く。背中に乗られるのをふふふと嬉しそうにしながら、一人おぶって立ち上がる。鶏小屋の中、巽が水瓶を指さす。 「〇さん、ここに張った水を見て何か思うことはありませんか?」 青年は訝しげに瓶の中をのぞいた。特に変わったことはないように思われるが…… 「水がきれいすぎる……?」 巽が満足そうにうなずく。 「そうですな。ここ最近は雨の降りどうしで、普通なら瓶の水も汚れていてもおかしくありません。しかし、この水は今日換えたばかりのように透き通っている。流石です、〇さん」 『いや、ほぼ巽が言ったようなものだが』 そう思いつつ悪い気はしない。後頭部に手をまわす。 「次。瓶の底の部分に注目してみてください。何か気になるところはありませんか?」 「あ!」 今度はA子が声を上げた。 「焦げてる!」 またまた満足そうに 「ええ、その通りですな。さすがA子さん。瓶の底がなぜか焦げてしまっています。おそらく下から直に火が当たったためでしょうな。しかし、俺にはそんなことをした覚えがありません。〇さんは……」 青年は首を振った。 「ですよね。〇さんもしていないでしょう。もちろんここにいるあなたたちも」 子供たちが必死に首を縦に振る。 「ふふ。大丈夫。俺は皆さんを信じていますよ」 にこり。 「では、最後です」 そう巽が言うと、背中のBが降りたがった。彼も何か手柄をあげたいらしい。 「うちで飼っている鶏は全部で7匹。そのうちの6匹が雌です。毎日最低6個の卵が産まれます。しかし今日の収穫は4個。調べたところ、鶏たちは軒並み健康で卵詰まりを起こしている子はいませんでした。さあ、Bさん。あなたはこれをどう考えますかな?」 Bの利発そうな眉が八の字になる。 「僕のだけ難しすぎない?」 「いいえ、あなたなら答えられるはずですよ。Cさんの推理を参考にもう一度考えてみてください」 う~んと唸る。 『可哀想に。僕にはさっぱりわからないのに』 青年は心の内でBに同情した。 「Cは、誰かが卵を取り換えたって言った。でも、いたずらをするのに数を間違えるかな?2個足りないよね」 Cの方を見る。Cは相変わらず自信なさげに俯きながら小さくうなずく。 「ってことは、この4つの卵が巽さん家ので間違いはないとして、残りの2つは……」 「だめになったのよ!」 A子が突然声を上げた。Cがびくりと肩を上げる。 「横取りしないで」 Bは不満そうだ。 「二人とも、お見事ですな」 頭をなでる。 「そうです。残りの2つは駄目になってしまった。…つまり、卵の形が崩れてしまったんです」 もう一度瓶をのぞき込む。 「ほら、ここ。よく見ると、卵の殻の白い欠片が浮いているのが分かりますか?さらに言うと、黄色い筋もやが少し漂っているのも見えますかな?」 『言われてみれば』 4人の反応を見て、これでお膳立てが整ったとばかりに微笑む。 「俺の推理はこうです。丁度このくらいのサイズの頑丈な箱を必要としていた集団が、水瓶を家の鶏小屋から一瞬借りるつもりで運び出し、中に卵が入っていることも知らないで、この瓶でお湯を沸かした。そして何かの拍子に卵が2つ割れてしまい、それに気づいたのは最後水を変えた時だった。彼らは焦っていたので割れた卵だけを除いて急いで瓶を戻しに来た」 『なるほど、それなら合点がいく。しかし…』 「問題は、誰がどうして。というところですな。誰が、というのは概ね予想がつきます。皆さん地面を見てください」 みんなが一斉に足元を見る。 「皆さんの足跡がある中に、多数の子供の足跡が混じっています。足跡はA子さん、BさんCさんが踏み込んでいないところまで続いています。つまり、あなたたちの前にこの鶏小屋に訪問した方たちがいるはずです」 この時、Cが初めて声らしい声をあげた。 「まって。もしかしたら昨日とか、もっと前の足跡かもしれないよ」 巽は優しくうなずく。 「Cさんの意見ももっともです。ですが、ここ最近は雨続きでした。この小屋は鶏が眠る巣の他に屋根らしい屋根はついておらずネットが張ってあるだけです。もちろん昨日の夜が雨だったことはご存じですな?」 Cが俯く 「今日の朝の出来事なんです」 巽がそう言い終わると同時に一匹の白い中型犬が庭に侵入してきた。青年宅で気まぐれに餌をやっている野良犬の、名前はべスだ。 「わあ~太郎」 「違うわ、ナナコよ」 「ナイス…」 どうやらいろんな名前を持っているらしい。 青年は犬の食事を縁側から引っ張り出してきて、小皿に振りかけた。犬がおいしそうにカリカリと音を立てて食べる。と、その様子を見て青年はあることに気がついた。 「べス、今日はなんだか毛並みが綺麗だね」 子供たちが反応し、A子がにおいをかぐ。 「本当だわ。しかも、いい匂い」 つられてBが 「うん、いい匂い。でもなんか生乾きっぽい」 途端、Cが声をあげて泣き出した。巽を除いてみんなぎょっとする。 巽はCの背中をさすりながら 「何があったか話してくれますか?」 優しい声で尋ねた。Cはうん、と小さく頷くと事の経緯を何度も詰まりながら懸命に語った。 今朝の6時、朝早くから登校してCを含めた少年たちは校庭で竹馬をしていた。誰が一番うまいか、そんなことで盛り上がっていた中に、一匹の犬がふらふらと入ってきた。遠目には黒い犬だったので少年たちは知らない犬を警戒した。そこで最年長のSが、試しにそこら辺の棒切れを拾って犬めがけて投げた。するとその犬は嬉しそうに棒切れを空中キャッチ、こちらに向かってきた。 少年たちはその犬の挙動にいくらか見覚えがあった。べスだ(仮名)。 少年たちはいっせいに駆け寄った。「どうしたんだよそんなに汚して」「水たまりの中にでも飛び込んだか?」べスはみんなから愛されていた。 Sが言った。 「べスをお風呂に入れよう」 みんなそれに乗った。 お風呂の容器をどうするかで少年たちは話し合った。なかなかいい意見が出ない中、Cが「巽さんちの…」と呟いたのをみんなは聞き逃さなかった。Cが言わなければよかったと反省するよりも早く、みんなはもう走り出していた。 炭屋の子供が廃材とマッチをもらってきて、その間4人がかりで水の張った水瓶を運んだ。Cは鶏小屋の鍵の在処を知っていたので開けるのは容易だった。ここからは概ね巽の推理通り。 「ごめんなさい!」 Cは顔をぐちゃぐちゃにして謝った。そんな彼を責める者などここには一人もいない。 「正直に打ち明けてくれてありがとうございます、Cさん。俺はあなたが勇気を持ってここに来てくれたこと、そして、こうして心から自分のしたことに向き合っている姿勢を偉いと思います」 青年とA子とBもうなずく。 「でもさ、」 とB 「Cだけ謝るのは不公平?なんじゃない?」 これにA子も続く。 「そうね。C君だけがやったんじゃないもの。Sたちの所に行くべきよ」 真っ赤な目で巽を見上げるC。巽は頷き 「みなさんの言う通りですな。俺は今回、誰のことも責めるつもりはありませんが、今後このようなことがないよう話し合っておく必要はあるかもしれませんね」 とSたちの元へ行く流れになった。 Cによると、Sたちは学校が終わるといつも校庭で鬼ごっこなどをして遊んでいるといい、校庭へ行ってみると案の定彼らは凧揚げの真っ最中だった。 今朝の件に絡んでいない数人が巽たちを見て無邪気に手を振る。事件に関わった子は総じて青い顔か苦い顔をしている。 ゆで卵を一つ前に掲げるようにして 「心当たりがあるかたはこちらへ」 と言えば何人かが気まずそうにこちらへ歩いてくる。Cはこれで全員だと言った。 巽はしゃがんで子供たちに視線を合わすと、 「まず、俺は今朝のことについて誰のことも責めるつもりはありません。今回皆さんに集まってもらったのは、俺から皆さんにお願いがあったからなんです。聞いてくれますかな?」 敵意の全く感じさせない笑みに、少年たちは動揺する。 巽はCから聞きだした事のいきさつを、Cに矛先が向かないよう配慮しながら一つ一つ少年たちに確認を取った。彼らは終始巽の話を真剣に聞き、途中途中反省の言葉を漏らした。 「ですから、次からは困ったことがあれば俺に何でも相談してくださいね。力になれる限りのことはやってみるつもりですから」 巽の柔和な微笑みに少年たちは揃いも揃って恍惚とした表情を見せる。 『罪な奴だな』 少年たちはこれから暫くは悩ましい日々を送るのであろう。そう思うと同情のような苦笑がせり上がってきて、青年は抑えるのに必死だった。 家に帰り、4つのうち3つの卵は子供たちに分け、残りの一つを2人は半分にして食べた。 「すっかり昼ごはんになってしまいましたな」 と巽。 「これじゃ足りないね」 と青年も笑う。巽が箸を置き 「たまの外食などもいいかもしれませんね」 と提案する。青年は卵を飲み込んで 「賛成、ひつまぶしでも食べに行こう」 2人は椅子を引いて、並んで食器を片付け始めた。水の流れる音が小窓から流れて外にまで響き渡る。路地からはこれから遊びに出るのだろう、子供たちの楽し気な声。立ち昇る入道雲がそれらを吸収し、段々と大きくなっていくような錯覚を見せる。そんな様子は初夏の訪れを感じさせ、さわやかな風を町に吹き込ませていた。 〈〈前の話 次の話〉〉 ページTOP
土曜日。穏やかな日が差すのどかな休日、青年は久しぶりに気持ちの良い寝覚めを迎えていた。
布団の上から窓の外に視線を投げると、連日雨続きで重かった空が、雨なんか降ったことすらないと言わんばかりに晴れ渡っている。初夏らしい日和だった。起き抜けに朝食でも頂こうと、青年はいつもより軽い感じのする体を起こし、顔を洗って台所へ向かった。
青年の生活リズムは芸術家らしく不規則気味である。巽の早起きの習慣とは相性が悪い。2人は朝食のタイミングを無理に合わすことはせず、互いに好きな時間に好きなものを食べるというスタンスを取っていた。だから青年が特別早く起きるというようなことがない限り、朝のダイニングテーブルには茶碗が一つ伏せてあり、新鮮な卵が入った籐の籠が置いてあるはずだった。しかし今日はどうだろう。テーブルの上には卵どころか、籠ごと見当たらないし、茶碗は1つではなく2つ伏せられている。
見れば時計は12時を回っていた。いつもなら巽の方はとっくに朝食を終えているはずの時間帯である。
不思議に思いつつ、卵を取りにつっかけを足にひっかけ軒先に行けば、鮮やかな緑髪の後ろ姿が小屋の前にちょこんとある。加えて子どもたちが3人、ちょこん、ちょこちょこんとしゃがんでいる。
「どうしたんだい」
青年はできるだけ大人の余裕を声に滲ませるよう心掛けた。が、子どもの一人が振り返って、青年の顔を見るなり青い顔になった。そして次の瞬間には前を向いてしまった。思わず表情を曇らせてしまう。恋人の背中に擦り足で近寄り、中腰になってもう一度声を掛ける。
「どうしたんだい?」
巽は一瞬髪を前に揺らしてから、明らかに困ったような表情で振り返って
「卵がどういうわけか、全てゆで卵になってしまったようなんです」
と言った。
『それは一体』
言いかけて飲み込んだ。8つの濡れた猫のような目が揃って青年を見つめているのだ。改めて聞くのは野暮なことに思われた。
巽が卵の入った籐の籠を差し出す。試しに一つ掴んで殻を割ってみると見事にゆで卵だった。思わず巽の顔を見る。巽は苦笑で返した。
「俺が見たときには既にこの有り様で、水瓶の中には卵は4つしか残っておらず、そのすべてがゆで卵になっていました」
青年は子供たちに視線を移した。巽の右にしゃがむ女の子が
「私たちは卵をもらいに来たの。玄関から巽さんを呼んでここに来たらもうこうなってたの」
嘘じゃないわ。と真剣な顔で青年を見つめる。
「ほんとだよ」
と男の子。その隣の小さな子は俯きがちにうなずいた。
青年は
「そうなんだね」
と返し、取り敢えず鶏小屋にお邪魔した。中には干草と数羽の鶏、雛、餌と水入れ。それに卵を受けるための水瓶(野生動物から卵を守るため水中に保存している)。環境は整ってるし特別荒れた感じもしない。穏やかじゃないか、と思ってますます首をひねる。
「何かわかりましたか?」
と巽。
『いや、さっぱり』
しかし、子供たちがいる前でそんな格好悪い発言をして失望されるのは流石に堪える。青年は意味深長にうなずいて
「まずは子供たちに意見を聞いてみよう」
B
「鳥の体温が高すぎて体内でゆで卵になったんだ。鶏の体温は40度以上あるってどこかで読んだし、間違いないよ!」
A子
「羽毛の下で温めすぎたんじゃないかしら?最近寒かったし、みんなが一か所に集まって卵を温めればそういうこともあるんじゃないの?」
C
「ぼくは…誰かが取り替えたんだと思う。わからないけど……」
「なるほど」
子供たちの推理が出揃って4人の視線が青年に集まる。
青年
「宇宙人の実験にうちの鶏が使われたんだろう。ゆで卵を産む鶏なんて、これからは調理いらずだね」
「あなたもですか」
巽がそんなことだろうと思った、とでも言う風にケタケタ肩を震わせ笑う。
「まじめにやってよ!大人なんだから」
「あきれる」
叱られてしまった。
まあまあと巽が子どもたちをなだめる。まぶちのしずくを指でぬぐいながら
「実は俺の方はもう粗方見当がついているんです。ただトリックが分かっただけで、動機の方はさっぱりなんですが」
なんと。
どういうこと、教えて、と子供たちが巽に縋り付く。背中に乗られるのをふふふと嬉しそうにしながら、一人おぶって立ち上がる。鶏小屋の中、巽が水瓶を指さす。
「〇さん、ここに張った水を見て何か思うことはありませんか?」
青年は訝しげに瓶の中をのぞいた。特に変わったことはないように思われるが……
「水がきれいすぎる……?」
巽が満足そうにうなずく。
「そうですな。ここ最近は雨の降りどうしで、普通なら瓶の水も汚れていてもおかしくありません。しかし、この水は今日換えたばかりのように透き通っている。流石です、〇さん」
『いや、ほぼ巽が言ったようなものだが』
そう思いつつ悪い気はしない。後頭部に手をまわす。
「次。瓶の底の部分に注目してみてください。何か気になるところはありませんか?」
「あ!」
今度はA子が声を上げた。
「焦げてる!」
またまた満足そうに
「ええ、その通りですな。さすがA子さん。瓶の底がなぜか焦げてしまっています。おそらく下から直に火が当たったためでしょうな。しかし、俺にはそんなことをした覚えがありません。〇さんは……」
青年は首を振った。
「ですよね。〇さんもしていないでしょう。もちろんここにいるあなたたちも」
子供たちが必死に首を縦に振る。
「ふふ。大丈夫。俺は皆さんを信じていますよ」
にこり。
「では、最後です」
そう巽が言うと、背中のBが降りたがった。彼も何か手柄をあげたいらしい。
「うちで飼っている鶏は全部で7匹。そのうちの6匹が雌です。毎日最低6個の卵が産まれます。しかし今日の収穫は4個。調べたところ、鶏たちは軒並み健康で卵詰まりを起こしている子はいませんでした。さあ、Bさん。あなたはこれをどう考えますかな?」
Bの利発そうな眉が八の字になる。
「僕のだけ難しすぎない?」
「いいえ、あなたなら答えられるはずですよ。Cさんの推理を参考にもう一度考えてみてください」
う~んと唸る。
『可哀想に。僕にはさっぱりわからないのに』
青年は心の内でBに同情した。
「Cは、誰かが卵を取り換えたって言った。でも、いたずらをするのに数を間違えるかな?2個足りないよね」
Cの方を見る。Cは相変わらず自信なさげに俯きながら小さくうなずく。
「ってことは、この4つの卵が巽さん家ので間違いはないとして、残りの2つは……」
「だめになったのよ!」
A子が突然声を上げた。Cがびくりと肩を上げる。
「横取りしないで」
Bは不満そうだ。
「二人とも、お見事ですな」
頭をなでる。
「そうです。残りの2つは駄目になってしまった。…つまり、卵の形が崩れてしまったんです」
もう一度瓶をのぞき込む。
「ほら、ここ。よく見ると、卵の殻の白い欠片が浮いているのが分かりますか?さらに言うと、黄色い筋もやが少し漂っているのも見えますかな?」
『言われてみれば』
4人の反応を見て、これでお膳立てが整ったとばかりに微笑む。
「俺の推理はこうです。丁度このくらいのサイズの頑丈な箱を必要としていた集団が、水瓶を家の鶏小屋から一瞬借りるつもりで運び出し、中に卵が入っていることも知らないで、この瓶でお湯を沸かした。そして何かの拍子に卵が2つ割れてしまい、それに気づいたのは最後水を変えた時だった。彼らは焦っていたので割れた卵だけを除いて急いで瓶を戻しに来た」
『なるほど、それなら合点がいく。しかし…』
「問題は、誰がどうして。というところですな。誰が、というのは概ね予想がつきます。皆さん地面を見てください」
みんなが一斉に足元を見る。
「皆さんの足跡がある中に、多数の子供の足跡が混じっています。足跡はA子さん、BさんCさんが踏み込んでいないところまで続いています。つまり、あなたたちの前にこの鶏小屋に訪問した方たちがいるはずです」
この時、Cが初めて声らしい声をあげた。
「まって。もしかしたら昨日とか、もっと前の足跡かもしれないよ」
巽は優しくうなずく。
「Cさんの意見ももっともです。ですが、ここ最近は雨続きでした。この小屋は鶏が眠る巣の他に屋根らしい屋根はついておらずネットが張ってあるだけです。もちろん昨日の夜が雨だったことはご存じですな?」
Cが俯く
「今日の朝の出来事なんです」
巽がそう言い終わると同時に一匹の白い中型犬が庭に侵入してきた。青年宅で気まぐれに餌をやっている野良犬の、名前はべスだ。
「わあ~太郎」
「違うわ、ナナコよ」
「ナイス…」
どうやらいろんな名前を持っているらしい。
青年は犬の食事を縁側から引っ張り出してきて、小皿に振りかけた。犬がおいしそうにカリカリと音を立てて食べる。と、その様子を見て青年はあることに気がついた。
「べス、今日はなんだか毛並みが綺麗だね」
子供たちが反応し、A子がにおいをかぐ。
「本当だわ。しかも、いい匂い」
つられてBが
「うん、いい匂い。でもなんか生乾きっぽい」
途端、Cが声をあげて泣き出した。巽を除いてみんなぎょっとする。
巽はCの背中をさすりながら
「何があったか話してくれますか?」
優しい声で尋ねた。Cはうん、と小さく頷くと事の経緯を何度も詰まりながら懸命に語った。
今朝の6時、朝早くから登校してCを含めた少年たちは校庭で竹馬をしていた。誰が一番うまいか、そんなことで盛り上がっていた中に、一匹の犬がふらふらと入ってきた。遠目には黒い犬だったので少年たちは知らない犬を警戒した。そこで最年長のSが、試しにそこら辺の棒切れを拾って犬めがけて投げた。するとその犬は嬉しそうに棒切れを空中キャッチ、こちらに向かってきた。
少年たちはその犬の挙動にいくらか見覚えがあった。べスだ(仮名)。
少年たちはいっせいに駆け寄った。「どうしたんだよそんなに汚して」「水たまりの中にでも飛び込んだか?」べスはみんなから愛されていた。
Sが言った。
「べスをお風呂に入れよう」
みんなそれに乗った。
お風呂の容器をどうするかで少年たちは話し合った。なかなかいい意見が出ない中、Cが「巽さんちの…」と呟いたのをみんなは聞き逃さなかった。Cが言わなければよかったと反省するよりも早く、みんなはもう走り出していた。
炭屋の子供が廃材とマッチをもらってきて、その間4人がかりで水の張った水瓶を運んだ。Cは鶏小屋の鍵の在処を知っていたので開けるのは容易だった。ここからは概ね巽の推理通り。
「ごめんなさい!」
Cは顔をぐちゃぐちゃにして謝った。そんな彼を責める者などここには一人もいない。
「正直に打ち明けてくれてありがとうございます、Cさん。俺はあなたが勇気を持ってここに来てくれたこと、そして、こうして心から自分のしたことに向き合っている姿勢を偉いと思います」
青年とA子とBもうなずく。
「でもさ、」
とB
「Cだけ謝るのは不公平?なんじゃない?」
これにA子も続く。
「そうね。C君だけがやったんじゃないもの。Sたちの所に行くべきよ」
真っ赤な目で巽を見上げるC。巽は頷き
「みなさんの言う通りですな。俺は今回、誰のことも責めるつもりはありませんが、今後このようなことがないよう話し合っておく必要はあるかもしれませんね」
とSたちの元へ行く流れになった。
Cによると、Sたちは学校が終わるといつも校庭で鬼ごっこなどをして遊んでいるといい、校庭へ行ってみると案の定彼らは凧揚げの真っ最中だった。
今朝の件に絡んでいない数人が巽たちを見て無邪気に手を振る。事件に関わった子は総じて青い顔か苦い顔をしている。
ゆで卵を一つ前に掲げるようにして
「心当たりがあるかたはこちらへ」
と言えば何人かが気まずそうにこちらへ歩いてくる。Cはこれで全員だと言った。
巽はしゃがんで子供たちに視線を合わすと、
「まず、俺は今朝のことについて誰のことも責めるつもりはありません。今回皆さんに集まってもらったのは、俺から皆さんにお願いがあったからなんです。聞いてくれますかな?」
敵意の全く感じさせない笑みに、少年たちは動揺する。
巽はCから聞きだした事のいきさつを、Cに矛先が向かないよう配慮しながら一つ一つ少年たちに確認を取った。彼らは終始巽の話を真剣に聞き、途中途中反省の言葉を漏らした。
「ですから、次からは困ったことがあれば俺に何でも相談してくださいね。力になれる限りのことはやってみるつもりですから」
巽の柔和な微笑みに少年たちは揃いも揃って恍惚とした表情を見せる。
『罪な奴だな』
少年たちはこれから暫くは悩ましい日々を送るのであろう。そう思うと同情のような苦笑がせり上がってきて、青年は抑えるのに必死だった。
家に帰り、4つのうち3つの卵は子供たちに分け、残りの一つを2人は半分にして食べた。
「すっかり昼ごはんになってしまいましたな」
と巽。
「これじゃ足りないね」
と青年も笑う。巽が箸を置き
「たまの外食などもいいかもしれませんね」
と提案する。青年は卵を飲み込んで
「賛成、ひつまぶしでも食べに行こう」
2人は椅子を引いて、並んで食器を片付け始めた。水の流れる音が小窓から流れて外にまで響き渡る。路地からはこれから遊びに出るのだろう、子供たちの楽し気な声。立ち昇る入道雲がそれらを吸収し、段々と大きくなっていくような錯覚を見せる。そんな様子は初夏の訪れを感じさせ、さわやかな風を町に吹き込ませていた。
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