大正ロマン 2024/06/10 Mon 大正ロマン 東京にある実家を出て東北の大学へ通うことになった俺は、下宿先でそこの一人息子に一目惚れをする。そいつは優しくて穏やかで気さくで加えて格別に綺麗だった。 俺は下宿先の主人に頭を下げて頼み込んだ。 「俺に息子さんをください」 幸運なことに俺の実家は裕福で、俺は次男だったから家を継ぐ必要もなく、夫妻は喜んで俺の申し出を受けてくれた。 彼はというと 「両親が決めたことなら、そうなのでしょう」 そう言って半ば諦めのように俺との結婚を了承してくれた。 結婚してからというもの俺たちの間に進展という進展は特になかった。夫妻は俺たちに宿を託すと隠居生活へと移った。俺は経営について1から学び、彼はせっせと慣れた仕事をする毎日。そんな日が長く続き、ついに俺たちの間には会話がなくなってしまった。俺は毎日飲み歩き、どうしようもない寂しさを飲み屋の雰囲気に癒してもらおうとした。 しかし飲んでも飲んでも、心にはぽっかり穴が空いているばっかりで 「もう帰ります」 いつも日が暮れる頃には家に帰ってしまっていた。 家に帰ればあの人がいる。 なんだか苦しいような嬉しいような複雑な気持ちを抱えて帰路につく。 「おかえりなさい」 「ただいま」 会話とも呼べない挨拶を交わして彼が作ってくれた食事に箸をつける。 彼も席につくが相変わらず会話はない。家の食卓は冷え切っていた。 それでも、食べたあと食器を片す彼の後ろ姿を眺めては『やっぱり好きだなあ』と思ってしまうのだった。 ある日、家で大人しく新聞を読むなりしていると、彼が子どもを連れてきた。 「どうしたんだ」 俺が聞くと 「親戚の子で、…親を亡くしてしまったんです。ここで暫く面倒をみようと思うのですが、俺さんはどうされますか」 『どうって…』そう言われても連れてこられたんじゃ今更追い払うわけにもいかないだろう。 「わかった。俺たちで育てよう」 考えるより先に言葉が出ていた。 子供が来てからというもの、家の食卓は明るくなった。テーブルには子供の好きな食事が並び、会話の中心はいつもその子供のこと。 彼も結婚する前のような笑顔を度々見せるようになり、口数も元のように多くなった。 俺たちは家族になった。 十数年が経ち、子供が、外で見聞を広めるため上京したいと言い出した。 狼狽える俺。また元の生活に戻ってしまうのではないかと不安になった。しかし俺の私情でこの子の将来を潰してしまうわけにもいかなかった。 俺は二つ返事でそれを了承し、彼も「あなたがそう言うなら」子どもを送り出した。 子供のいなくなった食卓はまた静かになった。それでも前のように冷たくはない。俺たちの間にはこの十数年、ともに育児に励むことで親愛というものが築かれていた。それは恋愛感情とはまた別のものであったが、実に心地の良いものだった。 「巽」 河川敷の桜に見惚れる彼の後ろ姿に俺は声をかけた。優しく彼が振り返る。 「俺をもらってくれてありがとう」 初めて結婚の感謝を述べた。俺はずっと、彼に相談もなしに義両親と話をつけてしまったことを後悔していた。巽にはもしかして結婚したい相手がいたんじゃないか。俺が巽の人生を邪魔してしまったんじゃないか。そう考えては怖くなった。だけど、もう今は 「ふふ。もらっていただいたのは俺の方では?」 彼が柔らかく笑う。桜吹雪が舞い上がり、無数の花びらが俺と彼の間を埋めていく。 春の嵐の真ん中で、俺たちは初めて手を繋いだ。 大正ロマン編(終) 次の話〉〉 ページTOP
東京にある実家を出て東北の大学へ通うことになった俺は、下宿先でそこの一人息子に一目惚れをする。そいつは優しくて穏やかで気さくで加えて格別に綺麗だった。
俺は下宿先の主人に頭を下げて頼み込んだ。
「俺に息子さんをください」
幸運なことに俺の実家は裕福で、俺は次男だったから家を継ぐ必要もなく、夫妻は喜んで俺の申し出を受けてくれた。
彼はというと
「両親が決めたことなら、そうなのでしょう」
そう言って半ば諦めのように俺との結婚を了承してくれた。
結婚してからというもの俺たちの間に進展という進展は特になかった。夫妻は俺たちに宿を託すと隠居生活へと移った。俺は経営について1から学び、彼はせっせと慣れた仕事をする毎日。そんな日が長く続き、ついに俺たちの間には会話がなくなってしまった。俺は毎日飲み歩き、どうしようもない寂しさを飲み屋の雰囲気に癒してもらおうとした。
しかし飲んでも飲んでも、心にはぽっかり穴が空いているばっかりで
「もう帰ります」
いつも日が暮れる頃には家に帰ってしまっていた。
家に帰ればあの人がいる。
なんだか苦しいような嬉しいような複雑な気持ちを抱えて帰路につく。
「おかえりなさい」
「ただいま」
会話とも呼べない挨拶を交わして彼が作ってくれた食事に箸をつける。
彼も席につくが相変わらず会話はない。家の食卓は冷え切っていた。
それでも、食べたあと食器を片す彼の後ろ姿を眺めては『やっぱり好きだなあ』と思ってしまうのだった。
ある日、家で大人しく新聞を読むなりしていると、彼が子どもを連れてきた。
「どうしたんだ」
俺が聞くと
「親戚の子で、…親を亡くしてしまったんです。ここで暫く面倒をみようと思うのですが、俺さんはどうされますか」
『どうって…』そう言われても連れてこられたんじゃ今更追い払うわけにもいかないだろう。
「わかった。俺たちで育てよう」
考えるより先に言葉が出ていた。
子供が来てからというもの、家の食卓は明るくなった。テーブルには子供の好きな食事が並び、会話の中心はいつもその子供のこと。
彼も結婚する前のような笑顔を度々見せるようになり、口数も元のように多くなった。
俺たちは家族になった。
十数年が経ち、子供が、外で見聞を広めるため上京したいと言い出した。
狼狽える俺。また元の生活に戻ってしまうのではないかと不安になった。しかし俺の私情でこの子の将来を潰してしまうわけにもいかなかった。
俺は二つ返事でそれを了承し、彼も「あなたがそう言うなら」子どもを送り出した。
子供のいなくなった食卓はまた静かになった。それでも前のように冷たくはない。俺たちの間にはこの十数年、ともに育児に励むことで親愛というものが築かれていた。それは恋愛感情とはまた別のものであったが、実に心地の良いものだった。
「巽」
河川敷の桜に見惚れる彼の後ろ姿に俺は声をかけた。優しく彼が振り返る。
「俺をもらってくれてありがとう」
初めて結婚の感謝を述べた。俺はずっと、彼に相談もなしに義両親と話をつけてしまったことを後悔していた。巽にはもしかして結婚したい相手がいたんじゃないか。俺が巽の人生を邪魔してしまったんじゃないか。そう考えては怖くなった。だけど、もう今は
「ふふ。もらっていただいたのは俺の方では?」
彼が柔らかく笑う。桜吹雪が舞い上がり、無数の花びらが俺と彼の間を埋めていく。
春の嵐の真ん中で、俺たちは初めて手を繋いだ。
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