さよなら先輩 2025/02/28 Fri さよなら先輩 午後8時。 風早巽は仕事を終えスタジオを出た。春の声も近い3月のことだった。 今日はALKALOIDのメンバーと振りを合わせ、その後ラジオの収録があったため3人とは別れていた。 『後輩の皆さんも是非ALKALOIDの公演を楽しみに待っていてくださいね。俺達も皆さんに会えるのを楽しみにしています…♪それでは』 収録終わり、巽は仕事仲間に飲みに誘われたのを断っていた。 『明日もレッスンがあるので…すみません。また公演が終わった後にでも誘っていただけると嬉しいですな』 公演に向けた練習は佳境を迎えていた。この頃は足の調子も良く、復帰した頃と比べ制限なく踊れるようになっている。巽は今が楽しかった。 「〜♪〜〜♪」 新曲を口ずさむ。通しで何百回と聞いた曲だ、思い起こさなくても他パートの歌詞まで自然と零れる。 『巽先輩!そこの振り付けだけど、もっとこう……ガバッとやってしまってもいいんじゃないかな』 『ちょっとヒロくん?タッツン先輩も考えがあってやってるんだから口出ししないの! ……でも……うん。タッツン先輩のカッコイイところが見れてファンの人も嬉しいかも……。ねね、おれも出だしのとこ…こぉんな振り付け加えたいんだけどどうかなァ?』 『イイ!藍良さんいいですっ!是非取り入れましょう!』 『ウム!藍良、可愛いよ!』 『ヒロくんは黙ってて!』 『ふふふ。では皆さんもう一度通しでやってみましょうか、本番まで時間もありませんし……少しハードなメニューになると思いますが、付いてきてくれますね?』 『ヒィッ!マヨさんが鬼教官の目をしてるっ!タッツン先輩〜!』 巽は今が一番楽しかった。 住宅街の街灯が点々と暗がりのアスファルトを照らしている。所々雪解けが進んでいて地面は乾き、ガスのような匂いが漂っている。 匂いの正体はヒサカキ。3月から4月にかけて小さな白い花を下向きに咲かせる植物で強い臭気を放つ。たくあん、インスタントラーメンの粉末の匂いと感じる人も居るが、巽は春の匂いだと思う。 フレイヴァーやガーデニアの活動を通して巽は色んなことに詳しくなった。紅茶の美味しい淹れ方、茶葉や茶器の種類、家庭菜園の基本、多種多様の植物。人はどこまでも成長していけるのだと仕事やクラブ活動を通して感じる。一度は終わった人生、こんな幸福が待ち受けていようとは思ってもいなかった。 巽は今、満たされていた。 角を曲がり、突然トスっと何かが巽にぶつかった。黒ずくめの男だった。謝ろうと声を出そうとするも出ない。 男は離れて手に握っていたものを落とした。カランッカランッと金属の音がする。巽は腹を押さえた。脇腹の辺りがどくっどく熱くて、同時に凍傷にあったような冷たさも襲ってくる。 ……痛い……! 「カヒュッ…カヒュッ…」 巽は警戒して後退った。足元がふらつき地面が遠い。男が近寄ってくる。巽は立っていられなくて、その場に蹲ってしまった。男が何か言っている。 「……が悪いんですよ…俺達を……いこうとするから」 己の呼吸で男の言葉が聞き取れない。じんわりと冷や汗が滲む。 「仕事、楽しいですか? 楽しいですよね、仲間がいて。居場所があってさ。幸せそーな顔しちゃって。人でなし。見てらんないな。 俺のこと覚えてますか? 俺、先輩を信じてあんなに苦しんだのに、最後は裏切られちゃったなぁ。最初からいたのに。信じてたのに。 俺は今……全部ないな?ズルいなぁアンタだけ。 アンタのすました顔見てると腹が立つ。風早巽ってどこ行きました? 返してくれよ。俺の神様」 蹲る巽を見下ろしてボソボソ喋り続ける男を、巽は閉じてゆく瞼を必死にこじ開け捉えていた。 「アンタは忘れてしまった。神の愛だとかなんとか、俺には1度だって理解できたことねぇや。 アンタだって、本当は分かってないんじゃねぇか? 耳馴染みのいいことばっか言ってないでさ。 1回くらい、テメーの言葉で語ってみろや。なんでああなった。どこから間違った。 分析じゃなく、アンタの"心"で。心底反省して導き出した結論を。 ほら。ほら。 ………………。 アンタが幸せになる資格なんて、どこにもねぇ。 ――死ね。」 男は爪先でドスッと巽の胸を衝いた。 「ゔっ!!」 衝撃で巽は転がった。男はしゃがんで顔を近づける。 「分かったら、さっさとそんなとこ引き払って、責任持って落ちて来なよ? アンタは元々、俺達の神様なんだから。俺は先輩を愛してます。」 巽は遠くなる意識の中で瞼を閉じ、まざまざと過去の記憶が脳に流れ込んでくるのに任せていた。温度を失った唇から言葉が漏れる。 「おれも……きみたちを…あいしています…………」 「……ありがとう」と巽の頬を一筋の涙が流れる。 男は引き攣った顔をして、たちまちにして青くなった。スマホを取り出し何処かに電話をかけている。 十数分後、けたたましいサイレンを響かせ救急車が到着した。動けない巽を隊員が担架に乗せ車内に運び込む。男は隊員に事情を説明し、その後到着したパトカーに連行された。 巽が目を開けると見慣れた病院の天井があった。トラバーチン模様の天井は虫が蠢いているような不思議な感じで、それでも実家の子供部屋の天井よりはマシだと思った。 巽は自分は夢を見ていたのだと考えた。自分はまだ、あの取り返しのつかない過ちの後、病院の寝台につながれた状態で。片足は動かず、することもなくただぼんやりと天井を眺めている内に寝てしまったのだ。幸せな夢だった。けれど自分が見ていいものじゃないと目を伏せた。 病室のスライド式ドアが開く音。巽はそこで初めて自分が個室にいることに気がついた。 「あっ!!!タッツン先輩起きてるゥ〜〜!!わぁーーーん!」 「ほんとだ!マヨイ先輩、巽先輩が目を覚ましたようだよ」 「ああ、よかったです!もう目覚めないんじゃないかと…お加減はいかがです?巽さん」 巽は目を丸くした。夢の世界の住人が目の前にいて自分に話しかけている。 「俺は…夢を…」 「もう!タッツン先輩何言ってるの!」 「フム。一度医者に診てもらった方がいいかもしれないね。人間は大きなショックを受けると記憶を失ってしまうと聞いたことがあるよ」 「巽さん、あなた刺されたんですよ…?それは、覚えています?」 「わァ…あらためて言葉にされちゃうとグロォ…」 彼らが話し、動き、息をしている。巽の全てに反応し、笑ったり怒ったり心配したりしてくれる。ああ、現実か、と心が軽くなる。 「ふふ。」 「え、なに?笑ってるゥ〜…」 「巽先輩。どこか痛むところはないかな?」 「ごめんなさい、ごめんなさいっ、私がショッキングなことを口にしたから!」 「マヨイさん、俺は大丈夫ですな。一彩さん、藍良さんも。心配をかけてしまってすみません」 巽はメンバーにニッコリ笑いかけると深々と頭を下げた。巽が謝ることではないと慌て、よし昼食にしよう!と誰かが言い出し、揃って食前の祈りを捧げた。 巽の個室はそれから毎日賑やかだった。 事件から数カ月、とある記者から連絡を受け巽は取材に応じていた。記者から1枚の手紙が差し出される。犯人からだという。読みたくなければ読まなくていい、と記者は言った。巽は迷わず開いた。 『風早巽先輩へ。風早先輩。風早先輩の人生は風早先輩の人生だと、俺はここ数ヶ月ずっと自分に言い聞かせてきました。俺はあなたの一部になれなかった。あなたも結局、俺達の一部にはなれなかったんです。人間だから、当たり前のことです。昔のことは気にしないでください。傷つけたこと謝ります。笑顔でいてください。あなたの笑顔は優しくて好きだ。愛してくれてありがとう。さよなら、風早先輩。今でも愛しています』 勝手だなぁと巽は思った。懐かしいなぁとも。 学園時代、彼らは勝手で健気で愛しい存在だった。そんな彼らの愛を払い除け、自分の思想に拘ってしまった。しかし彼らはそれはそれで幸せそうに……?どこから間違っていたんだろう。今でも実感として分からない。 巽は記者に礼を言って別れた。喉が渇いたので施設内の自販機に立ち寄る。ポケットに手を突っ込むとクシャクシャになった診察券があった。 巽は小さな祈りを込めて握り、屑籠に捨てた。 それは乾いた音を立て他のゴミに紛れてしまった。 さよなら先輩(終) 次の話〉〉 ページTOP
午後8時。
風早巽は仕事を終えスタジオを出た。春の声も近い3月のことだった。
今日はALKALOIDのメンバーと振りを合わせ、その後ラジオの収録があったため3人とは別れていた。
『後輩の皆さんも是非ALKALOIDの公演を楽しみに待っていてくださいね。俺達も皆さんに会えるのを楽しみにしています…♪それでは』
収録終わり、巽は仕事仲間に飲みに誘われたのを断っていた。
『明日もレッスンがあるので…すみません。また公演が終わった後にでも誘っていただけると嬉しいですな』
公演に向けた練習は佳境を迎えていた。この頃は足の調子も良く、復帰した頃と比べ制限なく踊れるようになっている。巽は今が楽しかった。
「〜♪〜〜♪」
新曲を口ずさむ。通しで何百回と聞いた曲だ、思い起こさなくても他パートの歌詞まで自然と零れる。
『巽先輩!そこの振り付けだけど、もっとこう……ガバッとやってしまってもいいんじゃないかな』
『ちょっとヒロくん?タッツン先輩も考えがあってやってるんだから口出ししないの!
……でも……うん。タッツン先輩のカッコイイところが見れてファンの人も嬉しいかも……。ねね、おれも出だしのとこ…こぉんな振り付け加えたいんだけどどうかなァ?』
『イイ!藍良さんいいですっ!是非取り入れましょう!』
『ウム!藍良、可愛いよ!』
『ヒロくんは黙ってて!』
『ふふふ。では皆さんもう一度通しでやってみましょうか、本番まで時間もありませんし……少しハードなメニューになると思いますが、付いてきてくれますね?』
『ヒィッ!マヨさんが鬼教官の目をしてるっ!タッツン先輩〜!』
巽は今が一番楽しかった。
住宅街の街灯が点々と暗がりのアスファルトを照らしている。所々雪解けが進んでいて地面は乾き、ガスのような匂いが漂っている。
匂いの正体はヒサカキ。3月から4月にかけて小さな白い花を下向きに咲かせる植物で強い臭気を放つ。たくあん、インスタントラーメンの粉末の匂いと感じる人も居るが、巽は春の匂いだと思う。
フレイヴァーやガーデニアの活動を通して巽は色んなことに詳しくなった。紅茶の美味しい淹れ方、茶葉や茶器の種類、家庭菜園の基本、多種多様の植物。人はどこまでも成長していけるのだと仕事やクラブ活動を通して感じる。一度は終わった人生、こんな幸福が待ち受けていようとは思ってもいなかった。
巽は今、満たされていた。
角を曲がり、突然トスっと何かが巽にぶつかった。黒ずくめの男だった。謝ろうと声を出そうとするも出ない。
男は離れて手に握っていたものを落とした。カランッカランッと金属の音がする。巽は腹を押さえた。脇腹の辺りがどくっどく熱くて、同時に凍傷にあったような冷たさも襲ってくる。
……痛い……!
「カヒュッ…カヒュッ…」
巽は警戒して後退った。足元がふらつき地面が遠い。男が近寄ってくる。巽は立っていられなくて、その場に蹲ってしまった。男が何か言っている。
「……が悪いんですよ…俺達を……いこうとするから」
己の呼吸で男の言葉が聞き取れない。じんわりと冷や汗が滲む。
「仕事、楽しいですか? 楽しいですよね、仲間がいて。居場所があってさ。幸せそーな顔しちゃって。人でなし。見てらんないな。
俺のこと覚えてますか? 俺、先輩を信じてあんなに苦しんだのに、最後は裏切られちゃったなぁ。最初からいたのに。信じてたのに。
俺は今……全部ないな?ズルいなぁアンタだけ。
アンタのすました顔見てると腹が立つ。風早巽ってどこ行きました?
返してくれよ。俺の神様」
蹲る巽を見下ろしてボソボソ喋り続ける男を、巽は閉じてゆく瞼を必死にこじ開け捉えていた。
「アンタは忘れてしまった。神の愛だとかなんとか、俺には1度だって理解できたことねぇや。
アンタだって、本当は分かってないんじゃねぇか? 耳馴染みのいいことばっか言ってないでさ。
1回くらい、テメーの言葉で語ってみろや。なんでああなった。どこから間違った。
分析じゃなく、アンタの"心"で。心底反省して導き出した結論を。
ほら。ほら。
………………。
アンタが幸せになる資格なんて、どこにもねぇ。
――死ね。」
男は爪先でドスッと巽の胸を衝いた。
「ゔっ!!」
衝撃で巽は転がった。男はしゃがんで顔を近づける。
「分かったら、さっさとそんなとこ引き払って、責任持って落ちて来なよ? アンタは元々、俺達の神様なんだから。俺は先輩を愛してます。」
巽は遠くなる意識の中で瞼を閉じ、まざまざと過去の記憶が脳に流れ込んでくるのに任せていた。温度を失った唇から言葉が漏れる。
「おれも……きみたちを…あいしています…………」
「……ありがとう」と巽の頬を一筋の涙が流れる。
男は引き攣った顔をして、たちまちにして青くなった。スマホを取り出し何処かに電話をかけている。
十数分後、けたたましいサイレンを響かせ救急車が到着した。動けない巽を隊員が担架に乗せ車内に運び込む。男は隊員に事情を説明し、その後到着したパトカーに連行された。
巽が目を開けると見慣れた病院の天井があった。トラバーチン模様の天井は虫が蠢いているような不思議な感じで、それでも実家の子供部屋の天井よりはマシだと思った。
巽は自分は夢を見ていたのだと考えた。自分はまだ、あの取り返しのつかない過ちの後、病院の寝台につながれた状態で。片足は動かず、することもなくただぼんやりと天井を眺めている内に寝てしまったのだ。幸せな夢だった。けれど自分が見ていいものじゃないと目を伏せた。
病室のスライド式ドアが開く音。巽はそこで初めて自分が個室にいることに気がついた。
「あっ!!!タッツン先輩起きてるゥ〜〜!!わぁーーーん!」
「ほんとだ!マヨイ先輩、巽先輩が目を覚ましたようだよ」
「ああ、よかったです!もう目覚めないんじゃないかと…お加減はいかがです?巽さん」
巽は目を丸くした。夢の世界の住人が目の前にいて自分に話しかけている。
「俺は…夢を…」
「もう!タッツン先輩何言ってるの!」
「フム。一度医者に診てもらった方がいいかもしれないね。人間は大きなショックを受けると記憶を失ってしまうと聞いたことがあるよ」
「巽さん、あなた刺されたんですよ…?それは、覚えています?」
「わァ…あらためて言葉にされちゃうとグロォ…」
彼らが話し、動き、息をしている。巽の全てに反応し、笑ったり怒ったり心配したりしてくれる。ああ、現実か、と心が軽くなる。
「ふふ。」
「え、なに?笑ってるゥ〜…」
「巽先輩。どこか痛むところはないかな?」
「ごめんなさい、ごめんなさいっ、私がショッキングなことを口にしたから!」
「マヨイさん、俺は大丈夫ですな。一彩さん、藍良さんも。心配をかけてしまってすみません」
巽はメンバーにニッコリ笑いかけると深々と頭を下げた。巽が謝ることではないと慌て、よし昼食にしよう!と誰かが言い出し、揃って食前の祈りを捧げた。
巽の個室はそれから毎日賑やかだった。
事件から数カ月、とある記者から連絡を受け巽は取材に応じていた。記者から1枚の手紙が差し出される。犯人からだという。読みたくなければ読まなくていい、と記者は言った。巽は迷わず開いた。
『風早巽先輩へ。風早先輩。風早先輩の人生は風早先輩の人生だと、俺はここ数ヶ月ずっと自分に言い聞かせてきました。俺はあなたの一部になれなかった。あなたも結局、俺達の一部にはなれなかったんです。人間だから、当たり前のことです。昔のことは気にしないでください。傷つけたこと謝ります。笑顔でいてください。あなたの笑顔は優しくて好きだ。愛してくれてありがとう。さよなら、風早先輩。今でも愛しています』
勝手だなぁと巽は思った。懐かしいなぁとも。
学園時代、彼らは勝手で健気で愛しい存在だった。そんな彼らの愛を払い除け、自分の思想に拘ってしまった。しかし彼らはそれはそれで幸せそうに……?どこから間違っていたんだろう。今でも実感として分からない。
巽は記者に礼を言って別れた。喉が渇いたので施設内の自販機に立ち寄る。ポケットに手を突っ込むとクシャクシャになった診察券があった。
巽は小さな祈りを込めて握り、屑籠に捨てた。
それは乾いた音を立て他のゴミに紛れてしまった。
さよなら先輩(終)
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